2009/11/26

茶屋町遺跡発掘調査結果発表! 茶屋町は2,000年前にはすでに陸地で貝塚が見つかりました。

北区の茶屋町が再開発されるにあたり、まあ、茶屋町にかぎらず再開発等で地面を掘り返す際には必ずやることですが、発掘調査が行われたのでした。NUの西側にある、塀で囲っていた空き地のあるあたりです(マクドの向かいの塀で囲まれた場所です)。
調査自体は、2008年12月15日~2009年1月7日。

で、この調査に先立ち、大阪市の教育委員会によって、小さな試掘調査が敷地内で行なわれたのですが、現在の地表から約70cm下で、今から約800年前(平安時代から鎌倉時代)の地層と土器が発見されたのでした。

大阪も古くから都の置かれていたところだけれども、飛鳥時代前後の難波宮や四天王寺が造営された時代はともかくとして、それ以降は、室町末期に石山本願寺が大坂城のある場所に建築されるまでは、歴史的にはあまりよく記載のない、暗黒の時代でもあります。

なので、平安時代から鎌倉時代にかけての考古学的な資料が出てくることは、そうした暗黒に光を射す、なかなかに貴重な出来事でもあります。

この試掘をきっかけに本格的な調査が行われ、今回、教育委員会から報告がなされたのでした。
ブログにアップしていいか?と尋ねたところ、写真が使えないんですよね。。。pdfでいただいた資料に埋め込まれてある小さな画像は使用許可をもらったものの、まともなサイズの画像ファイルを要求したら、著作権がどーの、と。その著作権も、教育委員会が採掘と資料作成を委託した先の外部の団体が保有しているらしく、権利関係をクリアするのが困難なんですと。
なので、僕のブログ云々はともかくとして、市民の財産である写真の著作権をどっかの団体に握られてるって、どーゆーこと? 採掘調査自体、税金で行なわれているものなのに…。

閑話休題。
本題に行きます。

発掘の結果、
江戸時代から明治・大正時代の生活跡が発見されました。井戸、建物の礎石・柱穴、ゴミ穴、大きな溝など、100点余が見つかったそうです。
江戸時代でもっとも古い証拠品は、18世紀後半の複数のゴミ穴で、今回の調査で見るかぎり、茶屋町の形成は、今から250年前にはじまったみたいです。
その後、19世紀、幕末、明治~昭和と連綿と続いていることは、折々の茶碗や生活用具の発見から辿ることができるそうです。なかでも、幕末の時代のものの資料が多数発見され、街の発展が加速したのがこの時代だということを記していると見ることもできますね。

調査区の北半分に6基の井戸と多数のゴミ穴がまとまり、調査区中央の東西方向の耕作溝を隔てて、南側にはあまり生活跡が見られないことから、当時の街は西を走る中国街道近くに中心があり、今回の調査区は街の端で、南側は耕作地として利用されていただろうことがわかりましたな。これ、平安から鎌倉時代にかけての様子です。

その後、おそらく、明治・大正時代と推定されるのだけれども、東側に南北方向の小さなドブ川が掘られています。梅田方面から伸びているみたいなのだけれども、今回の調査の範囲外だったために、これに関しては想像の域を出ないみたいです。

さらに掘り下げていくと、古墳時代から鎌倉時代にかけての地層が出てきます。
そこから、約800年まえの瓦器(がき)と呼ばれる当時の茶碗が出てきて、この瓦器の出土が今回の調査のきっかけとなった、と。

そこからずっと遡っていくと、約1,550年まえの、5世紀中頃の須恵器が発見され、この時期こそが、茶屋町の地が陸化して人々が本格的に活動をはじめる最初の時期になると推測できるみたいです。
今回の調査では建物跡が見つからなかったのでムラの実態はわからんのですが、文献によると、鎌倉時代にはこの地は耕作地として利用されているのは間違いないので、古墳時代から鎌倉時代までのどこかで、近隣に集落が存在したことは、きっと、間違いないんでしょうな。

さて、現在の茶屋町が陸地になったのはいつごろなのか。
このことを明らかにするために、調査の最終段階で2m×4mの範囲を深さ3mまでの深掘を行なったところ、黒い砂の地層を発見しました。
その地層からは、多量のハマグリ、シオフキなどの貝類が見つかり、当時の干潟があることがわかりました。同時に出土した葉の化石を用いて科学的な年代測定を行なったところ、1世紀、今から2,000年前のものだということがわかって、そのころには茶屋町はすでに陸地だったことが、今回の調査でわかりました。

その砂浜の上に厚く堆積した粗い砂の層の観察結果と併せると、1世紀に干潟があったこの地には、淀川の度重なる氾濫によって土砂が運ばれ、そのときにできた自然堤防(現在の中国街道)の周辺に5世紀中頃になって本格的に人が活動を開始した、と、景観の変遷を復元することができます。


調査風景です。茶屋町のマクドの向かいの塀のなかです。



18世紀後半のゴミ穴を発掘。



北半分に6基の井戸と多数のゴミ穴がまとまり、調査区中央の東西方向に耕作溝、南側は耕作地として利用されていたようです。



800年まえの瓦器、1,500年まえの須恵器が出土。



3m掘り進んで、分厚い砂の層を抜け、約2,000年まえの層が出てきました。



約2,000年まえの貝塚から発見された貝類。






茶屋町の発掘調査
大阪市北区茶屋町8

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