2009/11/13

かつては川に向かって拝んでいた(はずの)南長柄八幡宮


長柄は、近世から明治初期にかけて、北長柄村と南長柄村とに、わかれていたそうです。今の区画だと東西にわかれてますから、かつてと今とでは、ずいぶんと勢力図が違ったのかも知れませんな。

で、北長柄村の氏神が長柄八幡宮で、南長柄村の氏神が、今回紹介する南長柄八幡宮。北の長柄八幡宮と比べると、全然小さくて、町のなかに溶け込んだ下町の氏神さんといったかんじです。

南長柄八幡宮の社地は、明治末までは、現在の鶴満寺公園にあったと伝えられているのだけれども、今の鶴満寺公園の東側は団地の道路で、以前はここに大川(旧淀川)の土堤があったはずなので、本来の南長柄八幡宮は、長柄砂洲の北部東岸という水上交通の要所にあって、川に向かって拝む神社だったのでは、と、想像します。

そもそも八幡さんという神さまは、農耕神であると同時に水の神さまでもあるので、川岸に多く見られるし、その伝からも、大川(旧淀川)と密接にかかわっている神社と考えて、差し支えないと思います。

もっとも、このあたりの神社は、その縁起がよくわかってませんが…。

長柄自体が、歴史に登場してくるのが、中世末期、織田信長と大坂石山本願寺とのあいだの10年戦争のあたりで、本願寺方の早鐘撞き場が設けられ、ここが一向一揆勢の拠点だった、ということがわかっているくらいで。
一方で、信長が本願寺を攻めるための兵糧を備蓄するために建てたという伝承の残る土蔵もあって、なにがなにやら、という感もあります。
まあ、10年戦争という長い戦争だったので、南長柄八幡宮が信長方に占拠されたり本願寺方に占拠されたりと、天秤のように右に傾いたり左に傾いたりしたことは、あったかもしれませんね。

わかっていることは、それくらい。

あとは、近世になってからの由緒が手がかりになるのみです。

ご祭神は、応神天皇。八幡宮は、たいてい、応神天皇がご祭神です。
1098年(承徳2年)の難波八十八島の古地図には、広大な境内に鎮守された神社として、記載されているようです。
江戸時代、境内の神木の松に、鶴が巣をかけて子を育てたことで、その見物人が増え、当時の流行歌などにも詠みこまれることがあった。この頃、鶴の八幡宮とも呼ばれていたらしいです。
1908年(明治41年)、豊崎宮と合祀。
1948年(昭和23年)、現在の地に還御鎮座。
1965年(昭和40年)、地域の氏神さんとして、本殿と社務所を造営。

あ、合祀されて廃社になった神社が完全復活を遂げるというのは、ちょっと聞いたことがないくらい、珍しいかもしれません。
ここらも地域愛というか、そういうのが強いので、執着があったんでしょうね。

夏、7月の第2日曜に、夏季大祭が催され、地車囃子で賑わうらしいです。長柄囃子というんですが、全然知らんかったです。来年、行ってみるかな。






南長柄八幡宮
大阪市北区長柄中1-4-25

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