2009/11/14

石清水八幡宮から神体を勧進して祀った長柄八幡宮

昨日のエントリーで、南長柄八幡宮を紹介しました。

そっからさらに北に向かって歩いていくと、今度は、長柄八幡宮があります。
天神橋は8丁目まであるのですが、そこからさらに北側、現在の淀川の堤防までは、長柄です。
長柄は、「な」が魚で、「がら」は形を意味しますから、ながら=魚のかたちをした島、というほどの意味ですかね。後年のどこかで字が変わって、「長柄」になったんでしょう。
古地図の難波八十八島に、このあたりが中洲であったことも記載されているんで、わりと古くから集落があったとは思うんですが、いかんせん、鎌倉以前のことはわかってません。
ただ、現在は長柄東、長柄中、長柄西と東西に区画されてますが、かつては、北長柄村、南長柄村と、南北に区画されていて、それに沿って、長柄八幡宮と南長柄八幡宮の2社が南北に配されています。

さて、長柄八幡宮。
城北公園通に面していて、ここはかなり交通量の多いとこですから、まあ、騒々しい街なかの神社、というかんじ。道路に面していない3面は小さな鎮守の森に囲まれているので、神社の境内に入ると、エアポケットみたいな静かな空間がひろがってます。




ただ、年2回、7月の夏祭り(第3日曜)と秋祭り(10/17-18)は、境内に地車囃子の音が鳴り響いて、賑わいを見せるんだそうです。これ、見たことがないんで、来年、チャンスがあれば覗いてみたいもんです。
このお囃子は、、大阪城の完成を祝って奉納した地車囃子が豊臣秀吉に大変喜ばれたらしく、以来、ずーっと続いている地車囃子やそうです。摂津地車囃子、と呼ぶんだとか。

縁起によると、
1296年、鎌倉時代の永仁4年、今、京都と大阪の境にある山城国の男山八幡宮(石清水八幡宮)から神体を勧進して祀ったが起源で、以来、この付近の氏神さんとして尊崇されてます。
1610年(慶長15年)に、本殿・幣殿・拝殿を改築されてます。

それ以来、焼けてないみたいです。
このあたりは、第二次大戦の大阪大空襲で焼けてるところが多いんですが、ここは免れたみたいです。

南長柄八幡宮同様、かつて、中津川と大川(旧淀川)の分岐点にあって、もちろん交通の要衝でもあり、特に、海、川をこえて韓半島の文化がたくさん流入していた場所でもあるらしいのですね。なので、韓半島から居住してきた人たちの子孫のなかで財を成した人も多く、長柄長者という名まで誕生したという伝承もあります。

今、さすがにその面影はないですな…。





「神恩奉謝」「神徳無窮」と、鳥居に刻まれています。
神徳無窮とは、神さんの徳が果てしなく続くこと、くらいの意味ですね。




長柄八幡宮
大阪市北区長柄中3-3-1

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