2009/11/28

なぜか風俗店に愛されている天満の大神宮(夕日の神明)



天照大神を祀る神社を神明社といいますが、大阪には、かつて、天満の大神宮(夕日の神明)、神崎町の大神宮(朝日の神明)、平野の神明宮(日中の神明)の3社がありまして、天満大神宮が夕日の神明と呼ばれるのは、社殿が西を向いていたからなのでした。

ということは、話としては知っていたのだけれども、具体的な場所を調べたこともなく、たまたまチャリを走らせていたら、曽根崎でそれらしきものを見つけて、これか!と。

曽根崎1丁目町会さんが熱心にお世話されているようで、きわめていいかんじで保存されてます。
ただ、石の柵のところに刻まれた寄付された方々のお名前を眺めていると、風俗店ばっかりで、ちょっと笑ってしまいました(笑)




老舗の風俗店ばっかりですやん(笑)

このお宮さん、太融寺で有名な、というよりも、源氏物語の主人公である光源氏のモデルといったほうが通りがいい、左大臣・源融によって821年(弘仁12年)に建てられてるんで、やっぱ、風俗店には人気があるんですかね? 

源融の勧請で建てられはしたけれども、活躍したのは鎌倉時代直前の源平合戦の頃のことで、源義経が平氏を追って西国に向かうとき、風波の平穏を祈ったのが、この神社だった、ということらしいです。

その後、後醍醐天皇の勅願所となり、広大な土地を与えられて大社となり、それこそ、東京の芝神明宮、金沢神明宮、京都の松原神明宮などとともに、日本の七神明宮のひとつに数えられるほどで、室町の終わりの南北朝時代には戦災で半焼し衰退したものの、やっぱ、由緒正しいということで、大坂城代や東西町奉行が交代するときには必ず参拝した記録もあります。

曽根崎村、北野村、老松にわたっていたので、「北野の神明」「曽根崎の神明」「天満の神明」とさまざまに呼ばれていたものの、前述した室町末期の戦災、1834年(享保5年)の火災で、焼失し、そっからは衰退の一途を辿ったみたいです。

で、1907年(明治40年)には、お初天神に合祀され、現在も、お初天神の境外社として登録されとりますな。

ただ、現在の社には、でっかい碑が祀られていて、この碑の迫力から、往時の凄さを窺い知ることはできます。






天満の大神宮(夕日の神明)
大阪市北区曽根崎1-6


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