2010/04/10

富島神社のご神木の木陰で昼寝して、喉が渇いたら隣のカンテ・グランデに逃げ込むといいと思う



中津にある神社といえば、富島神社ですな。
北区には大阪天満宮、露天神社(お初天神)、綱敷天神、堀川戎と有名どころがありますが、富島神社もその列に加えていいかと。

周辺を高層マンションに囲まれているなか、エアポケットのようにして、広々とした境内がひろがってます。夏なんか、かーなり気持ちいいかと。
隣にカンテ・グランデの本店があるので、カンテと富島神社とで、ちょっとしたオアシスのようになってます。
その隣の佐伯祐三生誕の地である光徳寺は、知らなければ、佐伯祐三がここで生まれたということは気がつかないほど素っ気ないですけどね。

さて、富島神社です。
創建はよくわかっていないみたいなのだけれども、社伝によると、室町時代にすでに存在していたことが確認されていて、その当時は、「牛頭天王社」と呼んでいたみたいです。
豊崎神社の摂社である鹿島神社の役割も担っていたようで、祭神の武甕槌命(takemikazuchio)を祀ってました。全国の鹿島神社は、皆、この武甕槌命を祀っていて、藤原家の氏神さんですな。

「天王」を名乗っているのは、どっかで、速素盞烏尊(susanoonomikoto)を祭神としたからで、武甕槌命も速素盞烏尊もどちらも疫病退治の神さんですが、速素盞烏尊のほうが人気があったんで、いつのまにか、速素盞烏尊だけが祭神として祀られるようになったんやと思います。

明治元年の神仏習合令により、神号に「牛頭天王」の使用が禁止され、明治2年に浪速八十島の利島にちなみ(まだこのあたりが海やったころ、利島という島があったんでしょうな)、利島神社と改称してるんで、このときには天王の名称がとれてますから、そのあたりから武甕槌命はフェードアウトしていったんではなかろうか、と。


「牛頭天王」の名残で、牛がいます。牛といえば天満宮の象徴だけれども、富島神社と天満宮との繋がりは、特にはないみたいです。



で、明治43年には、むかし、このあたりが富島の荘と呼ばれていたことから富島神社と改称され、現在に至っとります。

第2次大戦の大阪空襲のときに戦災で焼失し、昭和30年に復興奉賛会が組織されて拝殿が新築されてます。
なので、現在の拝殿は戦後につくられたものですが、神社にしては珍しく瓦葺きの屋根です。




戦前の拝殿が桧皮葺だったのか茅葺きだったのか瓦葺きだったのかわからんのですが、もし瓦葺きだったのだとしたら、明治の神仏習合令のときに、お寺さんにされたかお寺さんに吸収されて、屋根を瓦葺きに無理矢理改築されてるかもしれません。まあ、妄想の域を出ないですが(笑)

でも、由緒に、摂津国西成郡中津村光立寺鎮座、とあるんで、神仏習合でお寺さんとの関わりを持たされたのは、たしかみたいです。

氏子地域は、
中津1丁目~7丁目、豊崎1丁目~5丁目、豊島町、豊宮町、浜崎町、東和町、舟場町、十三東之町、新北野町。
今はなくなってしまってる町名も多いですね。


ご神木がツインになってます☆
春から夏にかけて、このご神木の影のベンチに腰掛けて昼寝とかしてると、気持ちがいいでしょうな。喉が渇いたら、隣のカンテ・グランデに逃げ込むとか(笑)
僕、じつはそういうプランニングは大好きです☆




お百度石がありました。




神社なので、境内はキレイに掃かれてます。清浄にしておくことが神域をつくるので、そうしてます。
で、なぜか、隅っこに赤のフェラーリが停まってました(笑)




灯籠には、こんな張り紙が。過去、割って持って帰った人がいるんでしょうな(笑)
ところでこの神社には、この手の張り紙がいたるところにあって、ちょっと目障りというか興ざめになります。








富島神社
大阪市北区中津2-5-10

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