2010/04/29

最初の郵便局ができた日本銀行前で、大阪中央郵便局の歴史を振り返る


淀屋橋の北詰、日本銀行のあるところに、黄金の郵便ポストがあって、いつも気にはなっていたんだけれども、いつも急いでいることが多くて、そのままやり過ごしてました。

で、最近、ちょっと時間があって立ち止まってマジマジと見てみたんですが、その黄金のポストのうえには、地球らしき球体をたくさんの人が支え持っている、オリンピックを連想させるような彫刻があって、なんかいな?と思ってさらにマジマジと見ていたら、「駅遁司大阪郵便役所跡」と刻まれた碑がありました。

なにやら由緒ある郵便局がここにあった、ということですな。

あんまり資料がなくて、『北区史』にかろうじて載っていたんですが、
1871年(明治4年)に、日本最初の郵便制度ができて、大阪-京都-東京間が開通し、現在の日本銀行のある場所に、郵便役所が置かれたとのこと。
明治4年といえば廃藩置県が断行された年で、まだ明治政府が安定してない時期だから、郵便制度っちゅーのは、相当早くに整備が進められたことになります。
学制が整備されたのが明5年だから、それよりも早いです。

近代国家を建国したときに真っ先に行なう重要な要件として、法整備、税制整備、治安、空港の建設、公共メディアの運営、交通網の整備などとともに郵便制度の整備があるというのはどこかで聞いたことがあるんですが、こうした歴史を見ていると、郵便がいかに重要視されていたかということがわかりますな。

企業の財産は、「ヒト」「モノ」「カネ」に加えて、後年になって「情報」が言われるようになったけれども、やっぱ、情報って、最初から重要視されてたんだと思いますわ。

郵便制度創設を明治政府に進言したのは、前島密。
新潟の豪農に生まれながら、めちゃくちゃ勉強ができて、蘭学、英語、医学、航海術を修めて、幕臣前島家の養子となり、家督を継ぎ、明治政府成立後、政府に招かれて大蔵省に出仕します。大出世ですな。
司馬遼太郎が、明治維新を担った人材のなかで、抜きん出た天才と評したほどのお人です。晩年、貴族院議員になって政治家に転身しますが、本懐は官僚にあった人です。

その前島密が、政府に郵便制度創設を建議し、イギリスへ郵便制度の視察に赴き、帰国後、郵便制度の基礎を確立。
「郵便」「切手」「葉書」などの名称を定めたのも彼で、知らんかったですけれども、郵便制度の父と呼ばれてるらしいです。
飛脚はきっと今でいう宅急便というか、要するに民間の運送会社兼郵送会社やったと思うんですが、民間に任せずに、国家事業として導入しないとダメ、と、国策の重要事業にしちゃったヒトが彼です。ところが、彼は、のちに、陸海元会社(今の日本通運)を設立してますから、これは、郵政大臣が退任後に宅急便会社を設立してしまうようなケースで、この時代ならではの風景でもありますな。

さて、駅遁司大阪郵便役所は、設立された1871年(明治4年)1月に開業したものの、その年の10月には現在の京橋に移転し、大阪郵便局と改称されます。

さらに1889年(明治22年)、大阪郵便局から大阪郵便電信局に改称されます。電信といえば、この場合、電報を指すと思うんですが、電報の管轄は電電公社(現NTT)だけど、最初は郵便局が仕切ってたんですかね? 電話の出現なんてもっとあとだからな。このあたりの細かい歴史は、ちょっとわかりません。誰か教えてくれんですかね?

先、進みます。

1893年(明治26年)、渡辺橋南詰のフェスティバルホールのある場所に、局舎を新築移転します。
1910年(明治43年)、郵便関係の現業だけが独立して、大阪中央郵便局が設置されます。これが、現在の大阪中央郵便局の名称のはじまりですわ。
で、JR大阪駅前の西側のでっかい庁舎ができるのが、1939年(昭和14年)。こいつは、地上7階地下1階、4部7課で構成され、局長以下2200余人、うち1900人が郵便業務に従事する、西日本最大規模の郵便局となります。

今は、大阪駅前第1ビルの1階に移転しちゃったんで、
淀屋橋にはじまった郵便局は京橋、渡辺橋南詰めを経てJR大阪駅前西口、そして今の大阪駅前第1ビルと、流転の旅を続けてきたわけです。

で、民主党政権になって、JR大阪駅前西口の庁舎の建て替えもどうなることやら、ってところですかね。

そのうえ国民新党の亀井のオッサンがややこしいことを言い出したもんだから、国に戻るのか民間で続けていくのかすら、わけがわからんことになってます。

前島密さんは、今の事態を、どう見ますかね?
黄金の郵便ポストに乗っかってる平和の象徴みたいな彫刻が、なんとも皮肉なもんに見えて仕方がない。。。(笑)






駅遁司大阪郵便役所跡碑
大阪市北区中之島2-1 日本銀行大阪支店前

0 件のコメント:

コメントを投稿