2014/01/13

十三のシアターセブンに、「その街のこども 劇場版」を見にいく



十三のシアターセブンに、「その街のこども 劇場版」を見にいく。
2010年の1.17に、阪神淡路大震災の15年特集ドラマとしてNHKで放映されて、それが評判を呼んで、再編集されて劇場版がつくられて、全国のどっかでときどき上映されている映画。
毎年、この時期に十三のシアターセブンで上映されてきたらしいです。そのことを僕は今年に入って知って、2010年にTVでドラマを見て以来の、劇場版を見てきました。

出演しているのは、森山未來と佐藤江梨子。
どちらも、子どものときに、神戸で被災していて、実年齢役で出演してます。

この2人が、それぞれの役を与えられてはいるけれども、ドキュメンタリーなのかフィクションなのかわからないようなタッチで、お互いが持っていた記憶をさらけ出していきます。

新神戸で出会って、三宮から灘と御影に行って、再び三宮に戻ってくる。5:47の東遊園地での追悼イベント目指して。
それだけの、ロードムービーです。

http://sonomachi.com/


この作品の秀逸なところは、
子どものころに体験した震災というものに、あらためて向き合おうとする、現在進行形の若者にスポットが当たっていたことです。
傷と共存し、なおかつ前を向いていこうとする、その格闘の姿が、淡々とではあるけれども、描かれていたのでした。
ラスト、追悼のキャンドルナイトが行われている東遊園地に辿り着いたところから流れる音楽も含めて、音楽を担当した大友良英は、彼のキャリアのなかでもっとも美しい音楽をつくりあげています。

夜の三宮と御影を往復するだけのこのロードムービーは、言うまでもなく、夜の神戸の町並みをそのまんま映し出しています。
夜の神戸。
そう、僕にとっても、震災からこっち、神戸といえば、夜のイメージが主旋律になってます。

かつての相方と、知り合いの人たちを迎えに行ったとき、昼すぎに大阪を出たのに、神戸に着いたのは真っ暗な夜でした。
そこで知り合った長田の人たち、ウチナンチューや在日コリアンの人たちと仮設を掃除したり家具を運び込んだりしたのも、夜でした。
ソウルフラワーの別働隊、モノノケサミットが長田神社で演奏会をやったのも、篝火を焚いた夜でした。
月が出ていたり、雪が舞っていたり…。
そのあと、オジィやオバァを連れてルミナリエに行くようになったけれども、これももちろん、夜。

昨年の1.17は、夜を徹して、梅田から三宮までの道を歩いてもみたのでした。
あのころを思い出しながら。

そういう刷り込みがあって、阪神大震災と夜に歩くイメージは、僕のなかで分かちがたく結びついていて、僕もまた、歩いたのでした。
ザッ、ザッ、
と、スニーカーが地面を擦るたび毎に、大地の冷気が足許から立ち上がってきて、それがスイッチとなって、いろんな風景が立ち上がってきて、目のまえの風景と重なっていきます。
昨年のこの時期は、そういう夜を過ごしたのでした。


毎年、この時期のブログに書くことは、決まってます。


また今年も、1月17日がやってくる。
もう、19年になる。あの年に生まれ、「望」や「希」と名付けられ祝福されたお子らは、もう、成人になろうとしている。

17年前の今日、1995年1月17日の朝5時46分、ドーンという、地の底から巨大で不条理ななにかが突き上げてくる衝撃があって、大阪から神戸の一帯は、グチャグチャにされたのでした。

その日は、僕の誕生日でね。
でも、この日を素直に誕生日だと思うことは、もう、ないですね。


当時、僕は、大阪の北摂は豊中というベッドタウンに住んでいて、建物の倒壊こそなかったですが、家のなかはグッチャグチャ、皿やらビンやらの大半が割れ、CDは散乱し、CDのプラケースは割れまくり、2台あったテレビの1台がひっくり返ってブラウン管が割れ、食卓のテーブルは部屋の端まで吹っ飛び、エアコンの室外機がぶっ飛んで壊れました。

普通の地震とはまったく違っていて、ドーン!と、下から突き上げるような衝撃だったので、最初は、爆弾かと思ったもんです。
南米のペルーに住んでいたときは、過激派の連中がよく爆弾を爆発させていて、そんときの衝撃とよく似ていたのですね。でももちろんテロなんて日本ではそうそうあるもんじゃないから(相前後してオウム真理教がやらかしてくれたことも、個人的には澱のように、心の底をずっしりと覆っています)、慌ててテレビをつけたら、神戸が瓦礫の山です。

あまりの出来事で、部屋中が散乱して足の踏み場もない状態で、片付けなきゃいけないのはわかっているんだけれども、しばらくは、なーんもできなかったです。
なんかね、恐怖感だけがあったな。
余震が怖くてね、余震があるたびに、ビクッとしてました。そっから数ヶ月はエレベータに乗れなかったほどで。図太さにかけてはよっぽどの自信はあるけれども、それでも、何ヶ月も、エレベータには怖くて乗れませんでした。エレベータに乗ってるときに地震が来たらと思うと、怖くてね。PSTDって言葉を耳にするようになったのはこの時期からだと思うけれども、PSTDってこういうことか、と、知ったもんです。それでも、僕のなんて、引っ掻き傷みたいなもんだけれども。

僕の住んでいた場所では建物の倒壊もなく、ライフラインもすべて通じていたので、翌日だったか翌々日だったかには、神戸に向けて走ってました。
幸いにして僕の知り合いはほとんどが無事だったのだけれども、神戸には、当時の相方の知り合いの外国人がたくさんいて、彼らや彼女らが、かなり深刻な被害に遭っていて、迎えにいこう!ってことになって。
電話がなかなか通じなくて、でも国際電話がわりあいと通じやすかったので、香港の知り合いをベースにして、そこに伝言をあずけるかたちで連絡とってました。まだ、ネットもメールもなかった時代のことです。

高速道路が波打って倒壊していて、あんな風景、あとにも先にも見たことがないです。
垂直に建っているはずのものが大きく歪んで建っているのを見ると、平衡感覚がおかしくなりますね。三半規管って、視覚からの情報があって初めて機能するんだな、ということを、そのときに実感したのでした。

東日本大震災では、大型船が陸に打ち上げられている風景が映し出されていたけれども、あの風景もまた、現場にいる人たちの三半規管を機能不全にしたのだと思います。

迎えにいった外国人は10人以上で、皆、家をなくしてるから、僕の家に寝泊まりしてました。
最大で、11人が僕の家で寝泊まりしてました。広い家じゃないから、もちろん雑魚寝で、それこそ足の踏み場もないくらいだったけれども、なんだか楽しかったですね。
いろんな国の言葉が飛び交ってね。公用語を決めよう!ってなったんだけれども、英語とスペイン語とアラビア語以上に絞りようがなくて、誰かがスペイン語を英語に翻訳して、その英語をまた誰かがアラビア語に翻訳して伝えてって、伝言ゲームみたいになってました。話がね、よく食い違うんだよ(笑)今日の晩ゴハン当番は○○!って単純な話ですら、最終的には食い違う始末で(笑)
んでね、いろんな人が家にいたから、肝心の僕と相方のプライベートがまったくないのですよ。10人も引き受けていると、出費もそれなりにかさむわけで、今月のおカネだいじょーぶ?なんて話も、家のなかではなかなかできず…。
ただ、こういうとき、筋金入りのバックパッカーだった経験が生きましたですね。旅先ではほどんどが相部屋や大部屋だったし、こういう合宿生活はまったく苦にならず、むしろ楽しかったです。

知り合いの外国人も、知り合いの知り合いの外国人も、何人もピストン輸送して、そうしているなかで、僕は、長田のオバァやオジィ連中と知り合うことになったのでした。

長田は、在日コリアンやらウチナンチューやら、いわゆる故郷を離れた人たちが住んでいる土地です。それも、住んでいたというよりは、そこに押し込められた、そこにしか住むことができなかった、という土地です。
水はけが悪くて、ようするに、下層の土地。

大規模災害というのは、皆が一様に被害を受けているように見えて、じつは、如実に格差が出るものでも、ありますね。
持たざる人たち、ギリギリの生活を余儀なくされてきた人たちが、ひとたび災害に遭うと、悲惨です。欠けてしまったものを、自力で埋め合わせる余力は、もう、どこにも残っていません。
復興に尽力した市民派の小田実は、彼らは政府によって捨てられた「棄民」だ!と、看破しました。そして、その死を、「難死」と名付けました。
最初の5分は天災だったかもしれないけれども、それ以降は「人災」です。
これはもう、東日本大震災もおんなじ。



あの日からこっち、生きかたを変えさせられてしまったなあ、という思いは、僕にはありますね。

あの年からはじまった長田のオジィやオバァとの付き合いは今も続いていて、こちらが励ましているつもりが、いつの間にか励まされていたり…。もうね、ミカンを持っていったら帰りにメロンを持たしてもらってるような塩梅で(笑)
毎年、櫛の歯が抜けるように誰かが鬼籍に入っていくのだけれども、それでも、あの人たちは旺盛に生きてはります。ほんと、旺盛な生命力です。
悲しいことや辛いことを人数で割ることができたり、楽しいことや嬉しいことは人数分だけ倍々ゲームで膨らんでいくといった、人と人とは繋がることで、日々をかつがつ凌いでいけるんだよな、というようなことを、僕は、あの人たちと付き合うことで素直に受け入れられるようになったように、思うのです。
この年になった今でも、僕には、群れることがキライだったり、簡単に理解されてたまるか!といった十代のような気分があるのだけれども、それでもね、あの人たちと付き合うようになって、人と人とが繋がることの心地よさを、少しずつでも、受け入れられるようになってきましたですね。
そのときの気分は、そのまんま、東日本大震災の震災遺児を助けるボランティアTJWK関西にまで繋がっています。

なんちゅーか、人と繋がるということは、その人を思いやる、自分の心を、自分のなかに置くのではなく、向き合っている人のなかに置いてみる、そこに持っていってみる、ということだと、僕は思うようになりました。
そこから出発することで得られる歓びこそが、人と繋がることの歓びなのだと、僕は思うようになりました。


僕が向き合ったように、この映画の森山未來や佐藤江梨子もまた、それぞれのやり方で、それぞれの事情のなかで、向き合おうとします。
それはもう、100人いれば100が違う向き合い方をする。もちろん、向き合えない人もいれば、向き合い気がない人すらいるかもしれない。
でも、正誤の問題など問うことはできなくて、仮にある種の正論を突きつけられてもそんなもんすぐには飲み込めない事情も100人いれば100通りあるわけで、もちろん、この映画が示したように、子どもにだって子どもの事情があるわけで。
そういうものをすべて夜は飲み込んで、なお、虚空に月を掲げ、星を煌めかせます。

饒舌な夜も、言葉少なくなる夜も、この映画は等しく映してくれている。
最後は、また来年も、やってくれるのなら観にいきたいな、シンプルにそんなことを思っていました。

いいロードムービーです。
1月16日まで、十三のシアターセブンでやってます。

http://www.theater-seven.com/2014/movie_sonomachi-2014.html

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