2014/04/17

『歌はなんのために~カンパニー・ジョリモーム路上コンサート』

『歌はなんのために~カンパニー・ジョリモーム路上コンサート』 
原題、『joliemone 
この映像を見ていると、血が湧き、肉が踊る。沸騰する。

「もっといい世界を願うことは、悲しいことでもつまらないことでもない。共産主義なのかアナーキストなのか、ちょっと自分たちでも定義しにくいが、そういうものの根っこをわらってほしい」(カンパニー・ジョリモームのアコーディオン奏者) 

わかる。 
よーくわかる。革命歌や労働歌を聴くオレだとて、その立ち位置・姿勢を、完全に定義する言葉など持ち得ないからだ。しかし、歌い継がれるべき強い唄というのは確実にあるわけで、それは、民とともにあり続ける唄、土から立ち上る、けっしてどんなに強い圧力をもってしても消し去ることのできない憤怒の詩であるから。 
オレはそういう歌を聴いてきたし、これからもまた、そういう歌を聴くだろう。そういう大切な曲が、オレには、少なからずある。 
200466日、土曜日の昼、パリ5区のムフタール通りで音楽パフォーマンスを披露するのは、ブレヒト作品やパリ・コミューンを題材にした戯曲など、一貫して抵抗や連帯をテーマにした芝居・音楽を演じる「カンパニー・ジョリモーム」だ。 
ここで取り上げている映像作品は、映画『人間らしく生きよう~国労冬物語』の上映のために渡仏していたビデオプレスのスタッフが、パリの劇団「カンパニー・ジョリモーム」の大道芸を撮影してきたものである。 

労働者、移民、失業者、路上生活者などなど、仲間たちが抗議活動を起こす際、デモやストライキ、集会の際、その盛り上げ役として、カンパニー・ジョリモームは登場する。
本作のなかでも見られるジョリモームの赤旗は、今やデモの名物らしく、彼らは党派にこだわらず、さまざまな闘いと連帯している。
左を象徴する赤旗、ではない。
また、この作品は、そうした党派性、政治性を、巧妙に拭い去るかたちで編集されている。 
完全に演奏シーンのみを編集した短篇音楽ドキュメンタリー作品なのだけれども、ありがたいことに日本語の歌詞対訳がテロップで流れるために、この20分間に凝縮してある豊穣なメッセージは、観る者の心を強く揺さぶる。 

収録曲は、『インターナショナル』や『ワルシャワ労働歌』などの革命歌の替え唄、マクドナルドを糾弾する『マクドのマック・ストライキ』や、「911」が浮上させた世界を歌い込む『すべてがうまくいっていたのに!』などのオリジナル曲。電気による増幅なしで充分に迫力ある演奏を披露してくれている。 

イヤ、すごいな。 

路上のライブで鍛えると、人の地声はここまでデカくなるのか。 

足止めを食らう道ゆく人々、最前列でリズムをとる子供たち、笑いを隠さない老人たちなどなど、聴衆のさりげない有りさま、底抜けの笑顔、あたたかい拍手。このさまは、ライブやコンサートというよりも、祭のそれだ。 

しかし、祭は政にも通じている。 

本作中、『名前を明かさず』という曲のなかで、カンパニー・ジョリモームの女性の歌い手が、不屈の「名もなき彼女(=永久革命)」を讃え、固有名詞を連呼する、圧倒的なシーンがある。以下に歌詞をそのまま引く。 

戦艦ポチョムキンの水兵たちのために。
弾圧された評議会の平和主義者。
クラオン(塹壕戦)の謀反兵。サッコとバンゼッティ。
ローザ・ルクセンブルグと K・リープクネヒト。
1936年のスト参加者。
オビエドの炭坑夫。
スペイン内戦の義勇兵。
アナーキストの勇気を讃えて。
レジスタンスの兵士。
マヌシアンと二十二人の仲間達。
レジスタンスの外国人闘士。
シャロンヌ駅で踏み倒されたデモ隊。
19611017日、セーヌ川に投げ込まれたアルジェリア人。
ビクトル・ハラ。
1968年の900万人のスト参加者。
チェ・ゲバラとその仲間。
リバプールの港湾労働者。
ソウルの労働者。
米国の経済政策に苦しむキューバ人民の為に。
チュニジア人民。
モロッコ人民。
クルド人。
トルコの囚人。
アルジェリア人民とカビールの仲間たちのために。
アフガン人民。
アルゼンチン人民。
旧ユーゴ人民。
チェチェン人民。
南北のコリア人民。
ルワンダとスーダン人民。
シエラ・レオネ人民。
サラウィの民。
ブラジルの土地なし農民。
ジンバブエの農民。
チアパスのインディオ。
ムミア・アブ・ジャマル。
レオナール・ペルチエ。
合州国の牢獄で処刑された無実の囚人のために。
ナタリー・メニゴと仲間の政治犯。
サン・パピエ。
路上生活者。
失業者の闘いのために。
ロマの人々。
セザレ・バッティスティ。
コート・ジボワール人民。
コンゴ、そしてハイチの人民。
イラク人民。
パレスチナ人民。
そしてイスラエルの平和主義者。
……その数はまだあまりにも足りないけれども!


歌というものは、強くて、タフで、激烈で、底なしだ。 
戦前のスウィング・ジャズがそうであったように、行進曲がそうであったように、歌や音楽は、これまでにいくらでも戦争に、独裁者に加担してきた。
だから、歌や音楽はつねに反戦や平和や弱者の幸福を願っている側にある、と、能天気に言える牧歌的な気分は、オレにはない。 

でも、一方で、民、草から音楽が離れていったことは、ついぞなかったようにも思うのだ。
そういう音楽を、オレは愛しているしね。 


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